【羽生結弦が被災地に金メダルを持っていく理由】 復興支援のためのオリンピック2連覇だった #東洋経済オンラインhttps://t.co/7zirZ80zca
— 東洋経済オンライン (@Toyokeizai) December 5, 2024
原点にあるのは2004年、羽生10歳の冬にホームリンクを失った経験だという。経営難による閉鎖だったが、2006年に状況が変わった。トリノ五輪金メダリストとなった荒川静香氏の発言を契機に地元自治体が動いたのだ。2007年にリンクが営業を再開。「荒川さんのおかげで僕たちはまた練習できるようになったんです」。
金メダルの力を実感した。自分も金メダルを取って人の役に立つ活動をしたいと思った。羽生にとって金メダルは他者のためのものだった。「だから、震災の後、復興支援が金メダルの大きな目的になったのは、変化というよりはもっと自然な流れでした」。
生来、人を喜ばせることが好きな気質だ。「小さい頃は姉と同じように上手に滑って褒められたかった。僕のスケートを見た人が笑顔になってくれるのを何よりうれしく思った。金メダルはその延長線上にありました。だから改めて考えると、人に喜んでもらいたい気持ちはずっと同じ。全部つながっていたみたいです。自分でも今、納得しました」。
一方、メダルの力に頼れない瞬間もある。「復興支援のために滑るなら、それは今の自分次第。一人のスケーターとして全力を尽くします」。
演技会では、共演した被災地の演者の魅力を引き出すことに努めた。練習から本番までを公式フォトグラファーとして追った矢口亨氏は、「羽生選手は練習で、能登の若手奏者が叩く太鼓に合わせ自身の動きを調整することに、とくに注意を払っていた。地元奏者の気持ちを大切にする姿勢を強く感じました」と語った。
ファンの声
素敵な記事をありがとうございます
羽生君が掴み取った2つの金メダル
オリンピック2連覇
復興のため被災地のためその信念の強さに涙
「羽生結弦が被災地に金メダルを持っていく理由」この記事も一般公開してくれてる
本当にづっと変わらない人😭
誠実な取材には真実が見える
9月に1メートルの距離で見たけどありえないくらい華奢で妖精のようだった
なのにかっこよさもあって同じ人間とは思えなかった
演技会?うらやま!
いいなー
1メートルの距離!
羨ましすぎる
羽生くんの利他の姿勢
いつも感動させられてばかり。
もう少し、自分の為を考えてほしいなって心配になるくらいで。
ずっとずっと付いて行くケツイ、
改めて
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